祖霊舎・霊璽・神葬祭

霊祭について

霊祭とは

神道(しんとう)では、仏式の法要にあたるものを霊祭(れいさい)、または「みたままつり」といいます。
故人の死亡した日から数えて10日ごとに、十日祭、二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭と行います。
五十日祭は仏式でいう四十九日にあたり、納骨をする場合も多く、親戚・知人を招いて丁重に行います。
五十日祭が終わったら霊璽(れいじ)を祖霊舎(それいしゃ)に移し、先祖の御霊(みたま)と共に合祀します。
一般には五十日祭をもって忌明けとします。

次いで百日祭、一年祭と行われますが、一年祭は特に丁重に行います。
霊祭は神社ではなく、自宅や墓前、斎場などで行います。
祭壇に御供物を供え、神職に祝詞(のりと)奏上をしてもらい、玉串奉奠などの神事を行います。
一年祭は、仏式の一周忌にあたり、亡くなった1年後に行います。
一周忌と同様に、近親者や、故人と縁の深かった友人・知人を招いて盛大に行います。
一年祭は祥月命日の当日に行うのが理想ですが、実際には参列者の都合もあり、最近は週末に行うことが多いです。

一般には、一年祭が一つの節目と考えられます。
一年祭までは神葬祭の延長と考えられ、それ以降の儀式を祖霊祭といいます。死を弔う儀式から、家の守り神として鎮祭する儀式としての意味合いが強くなります。
祖霊祭(年祭)は、三年祭、五年祭、十年祭と続き、以後10年目ごとに霊祭が行われ、五十年祭へと続きます。
年祭の数え方は仏式とは異なり、三年祭は実際に死んだ年から3年目(以下五年祭・十年祭とも同様)となります。
一年祭がひとつの区切りとされたのは、御霊は帰幽(死去のこと)のあと、一定の期間は荒々しい状態「荒魂(あらたま)」で、祖霊として御霊が和み(なごみ)「和魂(にぎたま)」、鎮まる期間を、生活の基本単位の1年と定めたことによるものと思われます。

祖霊舎に納められた御霊は家族の最も身近な祖霊として、節目節目の霊祭はもちろんのこと、日々の生活を共にし、毎月一日、十五日は月の節目としてお供えを丁寧にします。
祥月命日に行われる正辰祭(せいしんさい)は家族そろって拝礼し、春分の日、秋分の日(彼岸)にもお墓参りなど祖先の御霊に追慕の誠を捧げ、その御加護を祈ります。
このように霊祭を続けていくことで、御霊は霊威を増し、神霊へと高まり家の守護神として永く子孫を守護するものと考えられています。

神道のお墓

神道のお墓は奥津城(おくつき)といいます。
形は一般に見るような仏式のお墓と変わりませんが、正面に「○○家之奥津城」と刻みます。
お参りをするときは線香を供えず、お米・お塩・お水・お酒・榊などを供えます。もちろん、故人が生前好んだ食べ物やお花を供えても差し支えありません。

忌服

忌服(きぶく)の「忌」とは、世間に出ることを慎む期間であり、「服」とは喪服のことで、喪服を着て謹慎している期間をいいます。
期間が定められている理由としては、死者へ向けられた悲しみを次第に薄れさせて、慎んだ生活状態から少しずつ平常の生活状態へ戻すためだともいわれています。

わが国では、古くから忌服の制度があり、明治7年には武家の忌服制に基づいて太政官布告の「服忌令(ぶっきれい)」が出され、親等別に忌服の期間が定められました。
しかし、これをこのまま現代社会に適用することは不可能で、最近では、五十日祭までを忌の期間(忌中)、喪に服している期間(喪中)を1年間とするのが一般的です。
忌の期間は、お祝い事への出席、神社への参拝は慎みます。
服の期間は喪服を着用し続けることはしませんが、正月行事や祭りごとへの参加は控えます。

忌服期間
(明治7年10月太政官布告)
死去者
父・母50日13カ月
夫の父母30日150日
祖父母30日150日
兄弟姉妹20日90日
30日13カ月
20日90日
20日90日
10日30日